<尾鷲のつくり人>
夢古道おわせでは、9つの約束に基づいた商品を販売しています。このコラムは、それらの商品のつくり人を訪ねます。
<尾鷲金盛丸の「まぐろの角煮」>
夢古道おわせでのアルバイト中、物販コーナーの陳列をしていると、ふと「まぐろの角煮」のポップが目に入った。
「角煮用にマグロを仕入れています」。
魚は鮮度が命。加工品に用いるのは、生食の余りだろう。そうおもいこんでいた僕は、尾鷲金盛丸(きんせいまる)さんにがぜん興味が湧いた。夢古道おわせの伊藤支配人と相談し、角煮加工の現場を訪ねることにしました。
<家族で営む小さな加工場です>
google mapに「尾鷲市港町11-10」と入力して尾鷲金盛丸さんへ向かう。
尾鷲金盛丸は、家族経営の水産加工業者だ。工場は、村瀬さん家の隣にある。起き抜けに工場へ行ったり、家へ昼ご飯を食べに帰ったり。そういう距離感で、まぐろの角煮がつくられている。
この距離感は、尾鷲というまちを知る上でとても大切なことだとおもう。
訪ねたのは、2018年2月。ちょうど平壌オリンピックの会期中だった。仕事の合間にかけられているTVからは、フィギュアスケートの中継が流れている。
工場を切り盛りするのは、3代目の義明(よしあき)さん。ひかえめな口数が、職人気質をうかがわせる。180センチを越す大柄な方。
義明さんは、熊野灘で水揚げされたマグロを滑るように解体していく。
頭を外し、内臓をとり… その手つきのなめらかなこと。そして、初めて目にするマグロの解体に圧倒される。訪問前にYouTubeで「まぐろ解体ショー」を検索、漫画「将太の寿司」も読んできたけれども。現実は、まったく違う。マグロは、いきものだった。
ちなみに、この日仕入れたのは38.6kgのマグロ。
こんなに大きないきものが、海の中を泳いでいる。ところが「まだまだ小さいほうだよ」と義明さん。100kg超の個体を仕入れることもあるからだ。
義明さんがおろした切り身。それを妻のみさよさんが短冊、そしてさいの目状に切っていく。さいの目になったマグロは、大鍋へ。醤油や砂糖で味をつけて煮こむ。その匂いに、お腹がグウとなる。
グツグツと煮える音を聴きながら、ふと浮かんで来た風景がある。以前、アルバイト先の養鶏場で正月を迎えた時のこと。卵を産まなくなった老鶏を数羽さばいて、雑煮と刺身でいただく。あの味。
「この姿を見ているからこそ、おいしく料理にしなきゃとおもう」と、みさよさん。
一口にマグロといっても、時期や個体により味も脂のノリもちがう。化学調味料をもちいれば、品質を均一化できるけれど、金盛丸では、それをしない。味つけも、試行錯誤を重ねてきた。白砂糖ではなく三温糖、そしてはちみつを使うことでコクが出る。しょうがは、高知の黄金生姜にこだわった。「大盛りのご飯が乗った丼に、このまま角煮をすくって食べたい」。妄想していると「一晩寝かせるんだよ」という声で我に返った。
味がしみてからパッキングを行い商品となる。
まぐろの角煮がはじめて商品化されたのは、20年前。今ではすっかり、尾鷲金盛丸の顔役に。
<金盛丸の歩み>
もともと金盛丸は愛知県名古屋市の熱田にあった。そこから初代が尾鷲市へ。
3代目にあたる義明さんは、水揚げされたトンボ、シビを尾鷲港で目利き。旅館や飲食店に卸してきた。かたわらで天日干しによる干物もつくってきた。どちらも、自然まかせの商品。
そして4代目にあたるのが、息子の晃健(こうけん)さん。
子どものころは、家の手伝いといえば干物の加工仕事。高校生になると、尾鷲を出たくて仕方がなくなる。大学進学を機に、愛知県へ。そこではたらくわけだけれども… 30歳を手前にして、晃健さんは大きな壁にぶつかる。
「絶望していたね」「なんで生きてるんだろうとおもった」。
連帯保証人となったことで、1千万円に及ぶ借金を背負った。返済のため、昼間は勤め先のNTTへ、夜はアルバイトを掛け持ちする日々。
尾鷲へ帰ってきたのが、34歳のとき。父から「月25万は出せる」と聞いていたが、その実は火の車。自分で仕事をつくる。着目したのが、まぐろの角煮だった。晃健さんは、地元でのんびりと暮らすために帰ったわけじゃなかった。借金返済のため、がむしゃらにはたらく中、「尾鷲に住みたい人が帰って来られる場所をつくる」ために生きたいとおもった。
まぐろの角煮が、尾鷲の人がすすめる尾鷲のお土産になれるように。箱や紙袋を一新し、販路を生んでいった。紆余曲折を経て8年後の今。近所のお母さんたちがパートで4名はたらくまでに。
<雇用創出よりも大切なこと?>
金盛丸パートタイマーの一人である森さんは、晃健さんに誘われて、フードコーディネーター2級を取得。「食の基礎を学んだことは、ともすれば作業になりがちな加工、そして商品開発や接客の意味を変えた」と話す。
森さんは、ふつうの企業であれば雇用が終わる年齢。そこから勉強をして、あらたなキャリアがはじまりつつある。この取り組み、なかなかすごいことではありませんか?
<角煮から海をかんがえる>
晃健さんは、家業に入った当時から「食の作り手だから提案できることがある」「変化するべきは食の作り手」と話してきた。
尾鷲、そして日本における漁獲高は年々減少している。ここで少しだけ統計を見たい。
日本の漁獲高は1985年の1000万トンをピークに、2017年は430万トン。そして日本の食卓、つまり家庭も大きく変わっている。家族を構成する人数は、1985年の3.2人から2.5人に。20%超の男性が生涯をシングルで過ごすと言われる。
漁獲高が年々減少し、食卓が小さくなっている。ファストフィッシュの時代へと向かっている。港町の水産加工業者が、変化を提案しなくては。
その一つが、角煮を中心としたマグロシリーズ。
今後も新たな展開がはじまりそう。従来5、6枚セットで販売されてきた干物を、1枚ずつ届けていきたい。
「尾鷲生まれの若い世代が、前向きに帰ってこられる場をつくる」には。晃健さんは、この港町の水産業者のベンチマークになりたい。小さな港町が目指す水産加工業ってどんなものか。
適正な価格で魚を販売することでより利益が生まれ、水産加工、そして漁業に後継ぎがあらわれること。そして、適正な資源管理が可能になること。
水産資源の将来については、様々な推測がなされている。2006年、アメリカの科学雑誌Scienceには「2048年に魚が食べられなくなる」という記事が掲載された。一方、水産資源の減少に直面したノルウェーでは、漁師に漁業補償を与え、一定期間漁獲量制限を行なった結果、水産資源が回復したとも。
<路地裏デザイン>
この数年、道の駅やサービスエリアに並ぶお土産におしゃれなものが増えたとおもう。それはそれでうれしいことだけれど、地域の実情とか、においがきれいに消されてしまったようなつるんとしたデザインには、それはそれで戸惑ってしまう。
このパッケージは、けっしておしゃれじゃないと(少なくともぼくは)おもう。けれども、尾鷲市港町かいわいを歩いたときの匂いがある。
「ぐ」と「ろ」が続いた文字は、お隣さんの手書き。現在は複写だが、数年前までは、近所のお母さんたちが一袋ずつ手書きしたらしい。ピン、と結わえることで、ほどよい緊張感をうむのが、尾鷲ひのきのかんなクズ。
ぼくが訪れたその日も、正午の時報が鳴ると、パートのお母さんたちが家々へと散り、猫が通り過ぎていった。どこの港町にでも見られるような、なんてことのない路地裏の風景。
人口は減少し、就職先がないから若者が外へ出ていくまち。一方で、ポツポツと移り住む人も現れはじめている。かえってきて、試行錯誤を重ねる小さい人たちがいる。きっと日本各地にある小さな路地裏。
このパッケージと、あの路地裏は繋がっている。
尾鷲金盛丸のまぐろの角煮、一度食べてみてほしい。尾鷲のまち、一度訪ねてみてほしい。
<尾鷲金盛丸の情報>
住所 三重県尾鷲市港町11-10
電話 0597-25-0004
*店舗は常時営業いたしておりません。お電話をお勧めいたします。
(写真と文 大越元)
先日は、ありがとうございました。品物どきました。
早速今朝いただきました。とても美味しかったです。
前の日に金山でコンサートがありたまたま駅でお店が出ていたので朝一で忙しい中ありがとうございました。ネット苦手なんですけど検索したら、出てきたのでわからないけど、一生懸命やってみました(^.^)
お店の様子も拝見できました。ありがとうございました 御馳走様でした。
さあ、届くか心配です‼️