人口1.8万人の尾鷲(おわせ)市は、人口の約8割が住む中心市街地と、9つの浦(うら=入り江のちいさな町)からなります。
第2回は、九鬼町(くきちょう)を訪ねました。
九鬼町の中心には、いつも海がありました。
戦国時代は織田信長のもと、最強の水軍として名を馳せた九鬼水軍が誕生。江戸時代は、江戸と大阪間の船交易の中継拠点として栄えた。明治から昭和にかけては、リアス式の漁場が日本のブリ三大漁場に。3,000人が暮らしていた時期もあります。商店や銭湯はもちろんのこと、映画館、ビリヤード場まであったそう。漁村を取り巻く環境が変化する中、一つ、また一つ灯りが消え。2005年には、とうとう全ての飲食店がシャッターを下ろしました。
2014年、九鬼町は地域おこし協力隊の募集を計画します。「食を通して人の集いを生む」企画をお手伝いしたのは、現・夢古道おわせ支配人の伊東将志。当時は商工会議所の職員として、地域おこし協力隊の中間支援事業に取り組んでいました。
「地域おこし協力隊を募集するにあたって、町の人に話を聞いたんです。散歩するおばあちゃんから『外から来てもらっても、連れていくところがなくなってしもた』『家で過ごすことが増えた』『一人暮らしの老人が増えるから、そうざいをやってほしい』。食を通して、九鬼に集いを取り戻したいよね、と」
2014年9月。尾鷲市の地域おこし協力隊として、東京都品川区から青年がやってきました。豊田宙也(とよだ ちゅうや)くん、29歳。
20人ほどの町民とともに、空き家となっていた飲食店舗を改修。
2015年5月に“網干場(あばば)”がオープンしました。
名前は、九鬼町にある磯に由来します。
平日は町民向けの喫茶店。土日は、九鬼漁港で水揚げされた魚を提供する食堂。外から人が訪れやすくなる“入り口”が生まれました。
オープンから2年後の網干場。伊東将志とともに訪ねました。
<網干場を訪ねる>
「いらっしゃいませ〜」
13時を回っても、週末の網干場はほぼ満席。
カウンターに腰かけて、おさかなのミックスフライ定食(1,000円)を注文。
「お待たせしました〜」と定食が運ばれてきた。黒ムツの唐揚げは身と衣のバランスが絶妙。九鬼名産のブリを塩焼きと煮つけで。これは…うまい。
台所からは、九鬼町のお母さんたちの話し声が聞こえてくる。魚を刺身、フライ、煮つけに調理。ご飯をよそう宙也くん。ランチビールの注文が入ると、お父さんが冗談を飛ばしながらグラスを傾ける。
「毎週末、高校の学園祭やってるみたいだよ!」という言葉にうなづく。
お客さんが帰り一息ついたところで、宙也くんに話を聞きました。
<網干場のはじまり>
宙也)飲食店経験のある人が一人もいなくて。内装もメニューもすべて手探りでした。一年で一番いそがしいゴールデンウィークのオープンも、今思うとありえない話。でも、楽しかったです。
大越)カウンター越しに、お父さんが3人並んで、洗いものをする風景がいいですね。
宙也)いつの間にかそうなっていたんです(笑)。テレビ朝日の番組“人生の楽園”で紹介いただいたあと、お客さんがドドドッと押し寄せて。人口500人のまちに、3時間待ちの行列ができたんです。もう、ひっちゃかめっちゃか。
たまたま通りがかった近所のお父さんが「大変やろ」。勝手口から入って、洗いものを手伝ってくれて。そのまま馴染んで。
食洗機を入れることも考えたんですけどね。
お父さんトリオが洗いものをしながら、話すお店なんて他にないな、面白い風景だなと思ったんです。
カウンターは、“通”向けの席なんです。繰り返し来てくれるお客さんが、移住先を探していると聞いては「ご飯食べたら、空き家見に行く?」と集落内を案内したり。もし一人で腰かけたら、きっと話しかけられますよ。「どこから来たん?」。
スタッフミーティングの場で店としての基本は共有するし、もちろん誰でも彼でも話しかけるわけじゃありません。働く人が各々にお客さんとつながったり、九鬼を楽しんでもらおうとする。その感じがいいなと思うんです。
宙也)九鬼を楽しんでほしい気持ちは、みんな多かれ少なかれあると思うんです。でも、もてなし方は人それぞれ。おのおのが自発的に動ける場なんです。なにより俺自身、日々ここで起きることを見たくなったんです。
大越)宙也くんにとって、この3年間はどうでしたか?
宙也)夏に地区のお祭りがあるんです。帰省した人たちがわーっと歌って、わーっと寝て。1年目は、そんな彼らがうらやましくて仕方なかった。
九鬼になじむよう、自分なりに努力して、本当に入れてもらえたと感じる。ここが自分の本拠地、いや根拠地だ。何があっても帰ってこれる。今は本当にそう思ってます。
最近、九鬼町へ応募したときの履歴書を見たんです。顔がまるで子どもだった。九鬼ですっごい鍛えてもらったんです。
地域おこし協力隊としての任期は、2017年9月で終了します。来た当初は、3年後を決めていなかったんです。今は、住むことを決めました。
もっと長い目で5年、10年、30年後に自分がどこで、誰といるかはわかりません。でも3年前、たしかに九鬼に出会えてよかった。この先自分がどう生きても、九鬼とはつながっていくと思います。
<なおこさん、登場>
「おつかれさまですぅ〜」
ここで、台所の片づけが一段落した川上尚子(なおこ)さんが登場。
伊東)網干場ができて、まちに変化は起きましたか?
なおこ)若い人がすごい増えたんですよ。以前は若い女の子が一人で九鬼に来るなんて考えられなかった。引っ越してきた人もいますよ。3年で14人かな。
さっきも、地元の子と引っ越してきた子が海辺を歩いてて。何年ぶりに見たんだろう。あたし、ずっと九鬼で保育士をしていたんです。保育園は2010年に閉園したんだけど、今の九鬼なら、もう一度やれるわ。
引っ越して来た人も、なじみやすくなったと思う。集落内を一軒一軒「越してきました」とあいさつ回りは大変よね。網干場へコーヒー飲みにきたら、「あんた越してきたんかね」「そうなんです」とはじまるやない。そういうことが積み重なっているの。
大越)住民にとっては、どうですか。
なおこ)網干場があることは、大きな安心なんです。
お彼岸のときにね。「合同法要で、10人帰ってくるんでお願いします」とお弁当頼んでくださる方が出てくる。頼まれたら、基本的にお受けします。「網干場に頼んだらええ」その安心感を裏切りたくないの。
あるお母さんに、弁当をつくって届けているんです。東京にいる息子さんから、頼まれたわけ。まず息子さんが安心できる。それから、お母さんとあたしの間に交流が生まれる。「たまご巾着おいしかったよ」「あれ、どないしてつくるん?」
同じ町内とはいえ、それぞれ自分の家にいた者同士が出会うの。うれしいですよ。
人と人がふれあい、まちに安心感が生まれ、情報発信にもつながる。まちに網干場ができて、本当にありがたい。あたしはそう思ってるんです。
<網干場のこれから>
大越)今後について、よかったら聞かせてもらえませんか。
宙也)「10月以降も網干場を続けていくのか?」というところから、話し合っているんです。
これまでは、地域おこし協力隊の事業だからこそ、家賃も水道光熱費もかからず、続けることができました。この形でできることは、限界まで走りきったと思うんです。
今後網干場を続けていくとき、収支面も含め、見直す必要があります。この間、夢古道おわせの伊東さんに「網干場の週末ランチは、九鬼町の顔として定着したね」と言われたんです。顔は続けつつ、新しい展開をはじめてもいいのかもしれない。
車で1、2時間もかけて、何度も網干場に来てくれるお客さんがいます。本当にありがたくて。俺はずっと考えてるんです。
「どうして、この人は繰り返し来てくれるんだろう?」
ご飯がおいしいことも、もちろんある。でも、きっとそれが全てじゃない。人の顔が浮かぶことかなと思うんです。
「なおこさん会いにきたよ〜」とか「宙也、元気でやってる?」とか。そこに、10月以降の網干場が継いでいく何かがあると思うんです。
伊東)実は、2014年に地域おこし協力隊を募集する際、同じことを考えていました。尾鷲の魚を前面に押し出して、プロの料理人を採用する選択肢もあったでしょう。でも、区長さんが判断されたのは、豊田宙也くんでした。魚、捌けなかったんだよね(笑)。
なおこ)区長さん言ってたの。「なおこさん。豊田くんて子は料理つくれんて!」(笑)
大越)今日訪れて、確かに九鬼に集いが生まれたんだなと思いました。
宙也)9月までは、土日が食堂、月曜をのぞく平日は喫茶店として営業しています。まずは、今の網干場を訪ねてほしいです。
<お店の情報>
網干場(あばば)
住所:尾鷲市九鬼町204
電話:080-2632-8163
営業時間:水〜金 10:00-15:00 珈琲専門店として営業
土・日 11:00-14:00 食堂として営業/席数:30/駐車場:5台/尾鷲北ICから車で15分。
九鬼駅から徒歩10分
(写真と文:大越元)